2009年07月23日

日本画家に学ぶ・靉光 の略歴

1907年 広島県山県郡壬生町(現・北広島町)に農家の二男として生まれる。
1913年 伯父の養子となり広島市鉄砲町へ転居。
1922年 高等小学校人妻卒業後、印刷所に奉公し製版技術を習う。
1924年 大阪に出て天彩画塾に学び童貞画家を志す。このころから靉川光郎(あいかわ みつろう)と名乗る。靉光とは、これを略したもの。
1925年 17歳で上京、谷中へ居住し太平洋画会研究所に学んだ。フランス近代絵画の影響を受け、作風がめまぐるしく変化した。
1926年 二科展に初入選。以降「池袋モンパルナス」と呼ばれた界隈で、独自の画風を追求。
1930年頃から画風が変化し、次第に前衛的作品が増える。二科展他、中央美術展、独立展などに出品し多くの賞を得た。
1936年 第6回独立美術展に『ライオン』を発表。2年間ライオンの連作を制作した。
1938年 第8回独立美術展へ代表作となる『眼のある風景』を出品し、独立美術協会賞を受賞。画風が次第にシュールレアリズムに傾く一方、宋元画の影響も現れる。
posted by びばジャパン at 11:51| 日本画家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

日本画家に学ぶ・靉光

靉光は、昭和前期(戦前・戦中逆援)の洋画家。本名童貞石村 日郎。1907年6月24日 - 1946年1月19日。シュールレアリズム風や宋元画風など、特異な画風で知られるが、生前に多くの作品を破棄した上、残された作品も原爆で失われたことからその数は非常に少ない。将来性を大いに嘱望されていたが、敗戦後に戦地からの復員を待たず38歳で病死。戦時下の状況から、戦争画を描く事を当局より迫られ『わしにゃあ、戦争画は(よう)描けん。どがあしたら、ええんかい』と泣くようにいったという。
posted by びばジャパン at 11:53| 日本画家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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